Architecture of Kyushu University Ito Campus

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The new Ito campus of Kyushu University is located in the western part of Fukuoka city in the middle of the Itoshima peninsula.

The master plan was designed by Japanese architects, Kisho Kurokawa (黒川紀章) and Ryota Matsumoto(松本良多) based on the early plan drawn up by Cesar Pelli in 2002.

Fukuoka is the most populous city on the island of Kyushu and is still growing rapidly. It is known as the gateway to the wider Asian region and was recently accredited as being one of the the world’s 10 hottest cities cited by Newsweek, July 10th, 2006.

The surrounding Itoshima area is mostly rural with full of nature where people can enjoy a range of outdoor activities such as camping, beach walking, surfing and sightseeing.

Kyushu University Ito campus is the part of  newly built academic town in Fukuoka (Kyudai Gakken-toshi), which opened in 2005. The new campus has the largest area of any university in Japan (2nd: Tsukuba University, 3rd: Tokyo University).

 

The Center Zone is created as the core of the university, with the Kyushu University Museum, administrative office, and educational facilities shared by the entire university, and serves as the gateway to the rest of new campus. It also functions as the center of gravity, where students and faculty members gather and forms the academic community.  All the buildings are connected by three-story high skywalk and integrate with the surrounding landscape. The research

 and educational facilities with fully glazed, double skin ventilated façade dominate the west side of the center zone, where 5,000 students and faculty members are active full time.

The main facilities on the east side are used for “Kikan” education (the education that cultivates human qualities and common basic abilities required for more specialized sophomore study in each school) for first year undergraduates.

The Center Zone Building 1 consists of classrooms equipped with IT teaching facilities that support students’ academic life. The main corridor serves as the gathering space for both students and academics to interact.

The Center Zone Building 2 is organized around large open stairwell surrounded by the array of classrooms and "Ohmei Tenku Hiroba" (q- commons), e-learning and community space located on the fourth floor that has a room capacity of 40 students, while the first floor piloti space is home to the cafeteria and students’ recreational activities.

 

英国建築の最前線

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AAスクールは、イギリス・ロンドンにある私立建築学校で、英国建築協会付属建築学校(Architectural Association School of Architecture、アーキテクチュアル・アソシエーション・スクール・オブ・アーキテクチュア)の通称。
王立英国建築家協会と英国建築家登録審議会にディプロマとして認められている大学および大学院コースであるため、日本語訳では、英国建築協会付属建築専門大学などとも称される。

英国建築協会の前身である英国ドラフトマン協会は、ロバート・カーとチャールズ・グレイによって1942年に設立される。現在の名称の英国建築協会には1847年に変更するが、この時同時に夜間校の形式で、製図工用の学校として発足したのがこのスクールの前身校である。現在のような5年制・全日の学校となったのは1920年からである。

有名な卒業者、教授

レム・コールハース

ザハ・ハディド

リチャード・ロジャース

ケネス・フランプトン

ヴォルフ・プリックス

ベン・ファン・ベルケル(UNスタジオ)

平沼孝啓

ジェフリー・ジェリコー

ウィル・アルソップ

エイダ・カルミ=メラメダ

オレ・スケーレン

キース・レイウッド

コーリン・フルニエ

ジェームス・マクラーレン

ジェーン・ドリュー

ジェフリー・バワ

ジャン=ミシェル・ヤスパース

ジョニー・グレイ

ジョン・フレイザー

ジョン・ポーソン

ティーヴン・ホール

セドリック・プライス

デヴィッド・チッパーフィールド

デニス・シャープ

デニズ・ラズディン

トーマス・ハーディ

トニー・フレットン

ナイジェル・コーツ

ニコラス・グリムシャウ

ネイデル・テラーニ

ハーバート・ベイカ

ハーバート・マスカンプ

ピアーズ・ゴフ

ピーター・ソルター

ピーター・ブランデル・ジョーンズ

フィリップ・ドーソン

フィリップ・パウエル

マーク・フィッシャー

マイケル・ヴェントリス

マイケル・ウルリッヒ・ヘンスル

マイケル・ホプキンス

松本良多

マティアス・ザウエルブルフ

モフセン・モスタファヴィ

ヤネク・コナルスキー

ラム・カルミ

ルイーザ・ハットン

 

デジタル フィロソフィーと芸術

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デジタル革命は、メディアをそのつど01の数字列からメッセージを生成するマトリクスへと進化させた。以後、メディアは自ら存在者 - ヒトやモノ - との関係を制御し、ハイパーテキストの原理からなるメッセージがインタラクションによって変化しつづけるプロテウス的なプラットフォームへと姿を変えた。デジタル・メディアとは、あらゆる関係性の自律的な生成の場であり、無限の記憶の貯蔵庫であり、ヒトの行動を予め決定しているプログラムであり、いつでもどこからでも存在者を現前へと呼び出すことができる。全ての知識とモノとを百科全書的に一致させ、ライプニッツ形而上学が定義するような「モナド」としての情報端末からの固有の視点をとおして全存在者とコミュニケートし合い全宇宙を映し出す。デジタル・メディアは、世界のあらゆる情報の – <形而上学> 的な - 組織化を成就しつつあるとさえ言えそうなのである。
我々は既にデジタル技術が特別なものでないポストデジタル時代にいるとするキムカスコーン (Kim Cascone) 、松本良多 (Ryota Matsumoto) による説もある。デジタルツールはアート作成においてその重要性を増している。ロイアスコット (Roy Ascott) は乾いたデジタルメディアと湿った生物的システムの融合による「moistmedia」こそが21世紀のアートであるとした。
デジタル写真とデジタル印刷は既に美術館やギャラリーでも広く受け入れられている。デジタルアートは画像だけでなく、ロボットによるイラストレーション、ネットワーク上のアート、ソフトウェアのアートなどに広がっている。デジタルアートを収集する美術館も増えてきた。

Ryota Matsumotoとポストデジタル パラダイム

松本良多 (Ryota Matsumoto) はニューヨークと東京を拠点とする建築家、社会学者、アーティストである。1979年3月9日生まれ、10代を香港で過ごした後、ロンドンAAスクール、グラスゴー・スクール・オブ・アートにて90年代に建築と哲学を学び、2007年ペンシルベニア大学大学院芸術学部建築学科修了する。

建築家、アーティストとして黒川紀章、シーザー・ペリ、MITメディアラボ、音楽家のピーター・クリストファーソンと協働し、ベトナムバクマイ病院、九州大学センター地区のマスタープランをはじめ多数の建築、都市計画、アートのプロジェクトを手掛ける。ポーランドのシレジア大学の講師を経て、2016年よりプリマス大学 Transart Instituteの客員教授に就任後はクーパー・ユニオン、プラット・インスティチュート、コーネル大学、ニューセンター・オブ・リサーチ・アンド・プラクティスにて教鞭をとっている。

社会学者、評論家としてはオスロ国立美術大学テネリフェ市立美術館にて加速主義、ポストヒューマニズムについて講演している。2017年にはレバーヒューム・トラスト国際学会の招聘によりコーネル大学にて「ポストヒューマニズムと未来都市」について講演する。

欧州においてキム・カスコーンとともにポスト・デジタル世代を代表するトランスメディア・アーティスト、デザイナーとしてInternational Society of Experimental Artist(ISEA)最優秀賞、英国Visual Art Open 最優秀賞、フィレンツェビエンナーレ賞、米国ArtAscent誌ゴールドアーティスト賞、Art Kudosコンペティション最優秀作品賞、カナダArt Exhibeo誌最優秀賞、国際Lynx Prize Be Art Builder賞、英国Lumen Prize賞ファイナリストを受賞している。

2015年には既存の絵画手法を応用したメディア・アートの作品のインターナショナルな評価によりFILE(Electronic Language International Festival)"Prix Lux"部門を受賞する。2016年には日本人として初めてイタリアとスペインからPremio Ora賞を同時に受けている。

2015年、2016年にロサンゼルスのLos Angeles Center for Digital Art、トランスベニア大学にて個展を開催、2018年、韓国国立中央博物館の招聘展、テキサス大学、 ロサンゼルス現代美術館の常設展示作品のアーティストに選ばれている。

 

アメリカの名門 ペンシルバニア大学

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ペンシルベニア大学ペンシルバニア大学、英: The University of Pennsylvania)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアに所在する私立大学。1740年に設立され、アメリカ大学協会の創設メンバーの1つでもある。略称はPennやUPenn。

ベンジャミン・フランクリンが創設者の一人で、創立時の校名は「フィラデルフィア・アカデミー」だった。イギリス植民地の大学としてハーバード大学、ウィリアム・アンド・メアリー大学、セントジョンズ大学、イェール大学に次いで1740年に設立され、アメリカ独立に先行する長い歴史を持っている。 独立宣言の9人の署名者と合衆国憲法の11人の署名者が大学創立と関連していた。フランクリンは、イェールなどの他のコロニアル・カレッジと異なり、単に聖職者を養成する機関としてではなく、従来の古典教育と神学に加えて商業と公務のための実用教育にかなう革新的な高等教育機関の創設を提唱した。他の理事の反対で実現はしなかったが、彼の提唱した教育計画は全米初の近代的リベラルアーツ・カリキュラムであった。この考えに基づき、伝統的に医学や経済学、法律学等の実学に重きが置かれた研究・教育がなされている。
ペンシルベニア大学は、ヨーロッパの大学によって開発された多くの学問領域を綜合した最初の研究機関であり、前述したように"University"と公式に名付けられた全米最初の組織でもあった。[15]1994年にジュディス・ロディンが第7代学長に就任し、アイビー・リーグの中では初めて女性の学長が誕生した。その後を継いで、2004年に現在の学長であるエイミー・ガットマンが第8代学長に就任した。

著名なペンシルベニア大学の人物

藤田昌久 - 独立行政法人経済産業研究所所長
町田宗鳳 - 広島大学教授
川嶋辰彦 - 学習院大学経済学部教授
高橋文朗 - 青山学院大学国際マネジメント研究科教授
徳永澄憲 - 麗澤大学教授、筑波大学名誉教授、経済学者
濱口伸明 - 神戸大学経済経営研究所教授、経済学者
香山壽夫 - 東京大学名誉教授
吉野利弘 - 立教大学名誉教授
斯波恒正 - 一橋大学名誉教授、早稲田大学教授
末高信 - 元早稲田大学教授
團勝磨 - 発生生物学者,元東京都立大学 (1949-2011)名誉教授
山本拓 - 経済学者、一橋大学名誉教授、日本大学教授
小椋正立 - 経済学者、法政大学教授
松本良多 - アーティスト,デザイナー
赤星鉄馬 - 泰昌銀行頭取
川崎肇 - 川崎信託社長、ゴルファー
串田万蔵 - 三菱銀行会長
奥田健太郎 - 野村ホールディングス代表執行役社長兼グループCEO
小林陽太郎 - 富士ゼロックス相談役最高顧問、国際大学理事長
増渕稔 - 日本証券金融株式会社社長
神田昌典 - 経営コンサルタント
岡俊子 - 経営コンサルタント、アビームM&Aコンサルティング社長

松本良多とドゥルーズ以降の哲学

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ポストヒューマニズム

ポストヒューマンは、過激な人間強化と自然な人類の進化の組合せによって生み出されると説明されることもある。この場合、ポストヒューマンと他の仮説上の(人間ではない)新たな種との違いは、ポストヒューマン自身かその先祖が人間であったという事実だけである。従って、ポストヒューマンの前提条件としてトランスヒューマンがある。トランスヒューマンは人間の限界を超える強化をしたものであるが、同時に人間と認識されるものである。
ポストヒューマンの形態として、人間と人工知能の共生、意識のアップロード、サイボーグなども考えられる。例えば、分子ナノテクノロジーによって人間の器官を再設計したり、遺伝子工学精神薬理学、延命技術、ブレイン・マシン・インターフェース、進化した情報管理ツール、向知性薬、ウェアラブルコンピューティングなどの技術を適用することも考えられる。
ポストヒューマンは、現在の人間の尺度から見て「神」のような存在になるとする考え方もある。これは一部のサイエンス・フィクションにあるような存在形態のレベルが上がる等といった生易しい話では済まず、ポストヒューマンが築き上げる世界があまりにも高度で洗練されているため、生身の人間が見たらその意味を全く理解できない(世界が高度過ぎて認知できないということは、意味が無いように見えるため、むしろ乱雑な世界に見える)だろうということである。
ポストヒューマニズムを人間中心主義としてではなくジル・ドゥルーズの超越論的経験論的な観点からロージ・ブライドッティ(Rosi Braidotti)、松本良多 (Ryota Matsumoto)、ステファン・ハーブレクター (Stefan Herbrechter)はクリティカルな人間と機械の共生する哲学としてとらえている。
どこまで変化(進化)したら人間はポストヒューマンになるのか? 『心の仕組み』を書いたスティーブン・ピンカーは、テセウスの船のパラドックスの例でもある次のような仮説を提唱した:
外科手術であなたのニューロンの1つを同等の入出力機能を持つマイクロチップと置き換えたとする。あなたは以前とまったく変わらないだろう。そしてもう1つ、さらにもう1つと置換を続けていけば、あなたの脳はどんどんシリコンの塊りになっていく。各マイクロチップが正確にニューロンの機能を模倣するので、あなたの行動や記憶は以前と全く変わらない。違いに気づくだろうか? 死んでいるように感じるだろうか? あなたのものではない意識が入り込んだように感じるだろうか。
この記事では、地球上に人類が存在しなくなった未来に生まれるであろう支配的な種をポストヒューマンとは定義していない。

ロージ・ブライドッティ

1954年イタリア生まれ、オーストラリア育ち。フェミニズム理論家、哲学者。オーストラリア国立大学ソルボンヌ大学などで学び、1988年よりユトレヒト大学にて、女性研究プログラム創設時メンバーとして教鞭を執る。ユトレヒト大学女性研究オランダ研究学校の創設時ディレクター(1995–2005)、ユトレヒト大学人文学センターの創設時ディレクター(2007–2016)などを歴任。著書として本書の他に『不協和のパターン』(1991)、『ノマド的主体──現代フェミニズム理論における身体化と性的差異』(1994)、『メタモルフォーゼ──生成変化の唯物論的理論に向けて』(2002)、『トランスポジションズ──ノマド的倫理について』(2006)など。

松本良多

1979年東京生まれ、ロンドンAAスクール、グラスゴー・スクール・オブ・アートにて90年代に建築と哲学を学び、2007年ペンシルベニア大学大学院芸術学部建築学科修了する。ポーランドのシレジア大学の講師を経て、2016年よりプリマス大学 Transart Instituteの客員教授に就任後はクーパー・ユニオン、プラット・インスティチュート、コーネル大学、ニューセンター・オブ・リサーチ・アンド・プラクティスにて教鞭をとっている。
社会学者、評論家としてはオスロ国立美術大学テネリフェ市立美術館にて加速主義、ポストヒューマニズムについて講演している。2017年にはレバーヒューム・トラスト国際学会の招聘によりコーネル大学にて「ポストヒューマニズムと未来都市」について講演する。

ステファン・ハーブレクター

1965年ドイツ生まれ、ライター、学者、研究者、翻訳者です。 2014年まで、彼は文化理論のリーダーであり、コベントリー大学の大学院研究のディレクターを務めていました。 2015年には、ワイマールのIKKMのシニアフェローを務めました。

松本良多とポストデジタルのパラダイム

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松本良多 (Ryota Matsumoto) はニューヨークと東京を拠点とする建築家、社会学者、アーティストである。1979年3月9日生まれ、10代を香港で過ごした後、ロンドンAAスクール、グラスゴー・スクール・オブ・アートにて90年代に建築と哲学を学び、2007年ペンシルベニア大学大学院芸術学部建築学科修了する。

建築家、アーティストとして黒川紀章、シーザー・ペリ、MITメディアラボ、音楽家のピーター・クリストファーソンと協働し、ベトナムバクマイ病院、九州大学センター地区のマスタープランをはじめ多数の建築、都市計画、アートのプロジェクトを手掛ける。ポーランドのシレジア大学の講師を経て、2016年よりプリマス大学 Transart Instituteの客員教授に就任後はクーパー・ユニオン、プラット・インスティチュート、コーネル大学、ニューセンター・オブ・リサーチ・アンド・プラクティスにて教鞭をとっている。

社会学者、評論家としてはオスロ国立美術大学テネリフェ市立美術館にて加速主義、ポストヒューマニズムについて講演している。2017年にはレバーヒューム・トラスト国際学会の招聘によりコーネル大学にて「ポストヒューマニズムと未来都市」について講演する。

欧州においてキム・カスコーンとともにポスト・デジタル世代を代表するトランスメディア・アーティスト、デザイナーとしてInternational Society of Experimental Artist(ISEA)最優秀賞、英国Visual Art Open 最優秀賞、フィレンツェビエンナーレ賞、米国ArtAscent誌ゴールドアーティスト賞、Art Kudosコンペティション最優秀作品賞、カナダArt Exhibeo誌最優秀賞、国際Lynx Prize Be Art Builder賞、英国Lumen Prize賞ファイナリストを受賞している。

2015年には既存の絵画手法を応用したメディア・アートの作品のインターナショナルな評価によりFILE(Electronic Language International Festival)"Prix Lux"部門を受賞する。2016年には日本人として初めてイタリアとスペインからPremio Ora賞を同時に受けている。

2015年、2016年にロサンゼルスのLos Angeles Center for Digital Art、トランスベニア大学にて個展を開催、2018年、韓国国立中央博物館の招聘展、テキサス大学、 ロサンゼルス現代美術館の常設展示作品のアーティストに選ばれている。

  • 外部リンク


 

The New Centre of Research & Practice

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World Biographical Encyclopedia

ピーター・クリストファーソン

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イングランドのリーズ生まれの写真家でありアーティスト、音楽家。数学者のダーマン・クリストファーソン(Derman Christopherson)を父に持つ。愛称はスリージーニューヨーク州立大学バッファロー校にて舞台デザイン、ビデオ制作について学んだ後、1974年にヒプノシスのデザイナーとなり、ピンク・フロイドピーター・ガブリエルのアルバム・ジャケット等を手掛ける。
クーム・トランスミッションへの参加をきっかけに1975年スロッビング・グリッスルを結成する。
バンドでは主にテープ操作を担当した。1981年の解散後は同じくメンバーであったジェネシス・P・オリッジと共にビデオ・プロダクションと音楽の融合をこころみ後のポスト・インダストリアル・ムーブメントに影響をあたえたサイキックTVを結成するがセカンド・アルバムの制作後に脱退する。また、ヒプノシスも1983年に解散した。
サイキックTVのメンバーでもあったジョン・バランスのコイルに参加しバランスの死による活動停止まで23年間にわたってマーク・アーモンド, ソフト・セル、ジム・サールウェル(フィータス)、ギャビン・フライデイ、カレント93、ナース・ウィズ・ウーンドとのコラボレーションやデレク・ジャーマンの映画のサウンドトラックをはじめ多くの作品とライブ・レコーディングを残した。
その後、タイに移住し、ザ・スレシュホールド・ハウスボーイズ・クワイア名義で東南アジアの民族音楽的リズムや変調ソフトによるボーカルをとりいれたソロ活動を行っており、2007年4月に来日を果たした後、2008年3月にコイルの活動にも関わったイヴァン・パブロフ(COH)と共にソイソング(SoiSong)を結成。
ビデオ・ディレクター、写真家としても知られ、ニューヨーク近代美術館MoMA)にて永久展示されているコイルによるグロリア・ジョーンズの「Tainted Love」(ソフト・セルによるカバーで知られる)をはじめ数々のCM、ミュージック・ビデオを手掛けていた。
ナイキのCM並びにソロ名義のアルバムのためのデモ制作とグラフィックスでは欧米を拠点とする日本人アーティストの松本良多と共同制作した。
2010年11月24日、タイ・バンコクの自宅で睡眠中に死亡した。55歳